| ニューヨークから アトランティックカナダまで2ヶ月間の旅 ゴルフとシーフードを楽しんで |
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| 笹岡 安一 ・ 明子 はじめに カナダの大西洋岸の4州 ノバスコシア プリンスエドワード ニュウブランズウイック ニューファウンドランドは かねてから一度行ってみたいところでした。 赤毛のアンで有名なこと以外 観光対象は特になくても ゴルフ場は多い様だし 良い気候と風土があれば 7月半ばから約2ヶ月を使って 日本の猛暑の時期に行って見るのに良いのではないか 。 ついでに 久し振りにニューヨークから ニューイングランドを往復して 途中で旧知 の人 にも会いたい また ペンシルバニア ニュージャージーにも 出来れば足を伸ばしたい ところがある。 泊まるところは 旅先のインフォメーションなどを利用しながら 行き当たりばったりで行く こととする。 ただ ニューヨーク ハリファックス シャーロットタウンの都会は 週末などを考慮して それぞれ日本から予約した。 移動手段はレンタカー、持参荷物 移動は ニューヨーク出発から帰着まで Hertzのレンタカーを日本から予約した。(他に Avisは会員の割引があっても 1ヶ月の限度があり また 長旅の安全を考えて割高でも 車の新しいHertzとした。) Hertzの車は 予定したカローラ級のmidsizeが出払っていて 結局 同レートでBuickの fullsizeを借りることとなった。 これはトランクが大きくて 2つのゴルフバッグを含む大荷物にとって 大変助かった。 旅行中 昼か夜の一回は胃にやさしい日本食とするつもりで 炊飯器 湯沸かし器 食材なども持参した。 ニューヨーク 7日間 7月13日からのマンハッタンの滞在は 長いドライブの前の時差解消が目的。 AAAで行く先の地図 宿 レストラン などについての膨大な案内書を貰う。(日本のJAFの 会員証により無料) メトロポリタン グッゲンハイムの美術館には行ったが ミユージカルは混んでいて 行かなかった。 あとは オイスターバーなど数ヶ所のレストランでゆっくりと食事をしながら 街を散策する。 ただ この頃のニューヨークは予想外に蒸し暑く 街を歩けば汗が流れた。 高層ビルの中の キンキンの冷房と 街に溢れる大型車と 大勢の人混みからの放出熱の故と納得。 旅の先を急ぎたい気持ちに駆られる。 宿は 49丁目のレキシントンアベニューに近いBestWesternに3泊 あと Hertzに近い 55丁目の7thアベニューのParkCentralに移る。 ニューイングランドー6日間 出発当日は コネチカットの海側のニアンティックに1泊し 翌日港町ミスティックの旧知の W氏夫妻の家に泊まった。(W氏は 夫人が日本人で10年程前に偶然知り合い 以後 文通のみだったが 今回1泊することとなった。)
観光船で 湾内一周の案内をして貰ったあと 入江に臨むベランダで貝柱の手料理の夕食を ご馳走になった。 翌日は ボストンの街を避けて大きく迂回するハイウエイでメイン州に入り ポートランドの北 フリーポートで2泊。 ポートランドは 左程見るところもなく 大きな船を使ったフローティングレストランで シーフードのランチの後は アウトレットモールを見て廻った。 次のドライブは 途中ハイウエイを降りて ブースベイに寄り道したあとは 一路 フェリーの 出るバーハーバーに向かう。 バーハーバーのあるアケイディアナショナルパークは生憎の霧なので 2泊で打ち切って ノバスコシアへ向うこととする。 ここは米国にも係わらず カナダの観光案内所があって フェリーの切符のほか 日本で予約してあるハリファックスまでの3ヶ日間の途中の街と宿を選んで 予約してくれた。 東カナダ各州の観光局の応対と取り組みに好印象をもったが これはその後 どこでもその通りだった。 ノバスコシアー10日間 フェリーは汽笛を鳴らしながら 深い霧の中をゆっくりと 予定より30分多く3時間かけて ノバスコシア西岸のヤーマウスに着いた。
翌日は その先のアナポリスロイヤルとフォートアンの植民地時代英仏抗争の要塞の跡などを見てから 南岸を東へ向う。 シエルバーンのあと ルーネンバーグと夫々B/Bに1泊づつして ライトハウスルートの入江 と岬を辿りながらハリファックスまで ハイウエイなら1日行程を3日かけて海沿いのドライブを した。 途中のルーネンバーグは世界遺産の港町で エンジの壁の色は 昔 船の塗料の残りを使ったものとのことで 海のブルーに映えて独特の色合いが美しい。 展望目的で 対岸のゴルフ コースへ行って 暫く眺めた。 また 昔からの造船の街 マホンベイでは丁度ウッドボートフェスティバルの最中だった。 ハリファックスに入り 日本から予約したデルタバーリントンホテルでは格子縞のスコッチ風スカートのドアマンに迎えられる。 ここでは要塞(シタデル)でもスコッチ風の衛兵交代があって Nova Scotia(New Scotland)の中 心に来たことを実感した。
マリタイムミュージアムでは タイタニック事件と 1917年火薬運搬船の大爆発のため街が廃墟に なったという2大事件の映画を見た。 ここで3泊のあと 北岸のウオルフヴィルに4泊して3ヶ所でゴルフをしたが 何れもビジター ウエルカムで、フロントの応対も気楽な雰囲気。 コースも無理のない親しみの持てるもので プレイ代もほどほど(30〜40ドル)と これから先のゴルフに明るい希望を持つことが出来た。 ここの宿オールドオーチャードインは丘の上にあって 部屋の窓からは 前庭の果樹園越しに遥かに北の丘陵と岬を朝夕眺めて楽しんだ。 近くのグランプレの歴史記念館の庭には フランス入植地からイギリス軍に追われて恋人と 生き別れたエヴァンジェリンの空を仰いで立つ像と 彼女の悲劇を詠ったロングフェローの胸像がありまた当時の村びとの離散の様子を映画で見せている。 プリンスエドワード島ー16泊 ここは4州のなかでは 四国より小さい一つの島だが 日本でアトランティックカナダといえば 殆どがこの島 特に赤毛のアンを中心に案内が出ている。 8月5日の朝フェリーは1時間半程でこの島の南に着いた。 運賃は帰りだけで往きは無料 島の出入りには合理的なシステムだ。
首都シャーロットタウンはハリファックスに比べ更に小さく落ち着いた田舎町にみえる。 ところが 東海岸4州は「ここからカナダは始まる」と云われるが 実はそのなかでもこの小さな町が 連邦発祥の地としてイギリス系殖民の議会が持たれた土地で その展示館(Founders Birthplace Pavillion)には如何に苦労して連邦(Confederation)が創られたかの詳しい資料を見せている。 この島は緩やかな丘陵で網の目のような道に覆われている。 その間に良く手入れされた畑 、点在する森と林 落ち着いた農家が見られる。 (例えばこの島のポテトの輸出は世界有数とのこと) 海辺には いくつかの小さな港町があり また長い砂州にはドライブウエイとウオーキングトレイル 海水浴場がある。 予想外にモテル コテイジが多く 赤毛のアンなどの観光地はごく一部で島全体が素朴な リゾートとみられる。 丁度シーズンのピーク時だったが 偶然の伝手で島の中部北岸の入江に面したコテイジに6泊をとることができた。 ここは数軒のコテイジが街道から海辺に向かって点在するその先端の一軒で 海を眺めながら ベランダで食事を楽しんだ。 宿の主人が刺身用のまぐろを差し入れてくれ また農家の庭先の野菜直売所 ムール貝の店などへ案内してくれた。
一日赤毛のアンのミュージカルをシャーロットタウンへ見に行った。大勢の子供連れで満員で 矢張り大変人気がある。 また作者のモンゴメリーがアンを執筆していたというグリーンゲイブルスの郵便局の女性の笑顔が素 晴らしく アンの時代に戻ったような雰囲気があった。ゴルフ場はこの近辺に数多く その内5ヶ所でプレイした。なかでもグリーンゲイブルス ゴルフクラブはコースからアンの家を見る事が出来て印象的だったが どのコースも自然の地形を生かしていて 大いに楽しむことが出来た。 プリンスエドワード島のシャーロットタウン生誕150年記念パレードです ニューブランズウィックー3泊 プリンスエドワード島に2週間余りも滞在したので 4州のうち 更に北のニューファウンドランドは 今回はカットして この辺でアメリカへ向けて旅行を折り返し その途中 ニューブランズウィック州の海側を通ることとした。 8月21日 世界有数の長さのコンフェデレーションブリッジで海峡を渡り 南岸ファンディー湾に臨む 港町セントジョーンに向かう。 フアンディー湾はノバスコシアの北岸との間の大きな入江で 干満の差が世界一で有名。 道筋にはこの為の展望台があるが 丁度満潮の時で その差を見るためには ほぼ一日待たなければならない。 また田舎の海端で世界一のシーフードチャウダー(WorldFamousChawder)との看板を見て入ったところ なかなかの味だった。
セントジョーンは大きな街だが 思いがけず濃霧で何も見えない。 ホテルも道を聞いた車が先導してくれて ようやく到着した次第。 滞在中 時には晴れ間もあるが 殆ど濃い霧のなかを街を一回りした後は パブで腰を落ち着ける以外なかった。 土産物屋の主人によれば 「霧はいつ出るか分らない」「冬も出る なんと 雪があっても出る」「セントジョーンに特有で 少し外れると出ない」 とのこと。 ここに至って1泊切り上げて2 泊の後 アメリカとの国境手前のセントアンドリュースに移る。 ここは有名なアルゴンキンホテルのある街で アメリカの金持ちがゴルフに来る有数のリゾートとのことで 今回は通るだけと考えていたが ウオーターフロントモテルに1泊となった。 ホテルの昼のシーフードを味わった後 海に臨み岬を廻る爽やかなゴルフコースでプレイしたが 流石に グリーンフィーは高かった。 再びニューイングランドー7泊 国境では今までのカナダの宿のタックスリファンドの申請書を受け付けて貰えず 郵送してくれとのこと。 それ以外は問題なく 国境を越えてからはメイン州をひたすら西へ走ってニューハンプシャー州のノースコンウエイへ入った。 ここは 往きに1泊したコネチカットのW氏夫妻に10年前始めて会ったところで 当時と様変わりの大規模なリゾートとなっていた。 W氏に出会った街の中心のノーススロープインは当時から古びていたので 今回は敬遠して新しいコムフォートインに泊まる。 ここの3泊は2ヶ所でのゴルフのためで ノースコンウエイ ゴルフコースは街の停車場隣のクラブハウスの前から線路越しに先ず一番のティーオフをして 汽笛が鳴れば列車の通り過ぎるのを待つという長閑なもの またもう一つのウエントワース ゴルフコースはせせらぎに沿っていて カバードブリッジなど 昔のニューイングランドの田舎の雰囲気があった。 これから先は 往きの海辺ではなく山側を南へ戻る。 先ず峠を越えて マウントワシントンの山腹に忽然と現れる壮大なマウントワシントンホテルに立ち寄って経済史上有名なブレトンウッズ協定の舞台となったこのホテルに敬意を払った後 バーモント州に入り秋の紅葉のシーニックルート Rt100を 今は青葉の中をドライブ、 ピッツフィールドのカーサベラインに1泊する。 ここのオーナーシェフはハワイのプリンスホテルで12年間シェフをしたというイタリー人で それを知らず日本食の夕飯を庭のテーブルでとってしまい 結構なレストラントとバーを利用しなかったのは今でも心残りだが しかし翌朝のテーブルでは彼は我々の傍らに立ちきりで イタリーや日本の食べ物の話で途切れることがなかった。 次のキリントンは 著名なスキー場のほかに また山岳コースの良いゴルフ場もあって翌早朝の予約をしたが 起きてみれば雨のため残念ながらキャンセルして次へ向かう。 学生街のウイリアムスタウンは 誇り高いマサチューセッツ州の山側の町で 昔泊まったオーチャードインに1泊して 珍しく食堂で正式なディナーの席にもついた。 名前のとおり果樹と花に彩られた中庭も アンティークの家具のロビーも以前と変わらず 今までの長旅から またニューヨークの近辺に戻って来た感じの1日だった。 この後ニューヨークに入るまでには 更にニュージャージー州とペンシルバニア州で或るところを訪ねるという 我々にとってややエキサイティングな寄り道を予定している。 その前にハドソン川を西へ渡ってモテルに1泊して ニューヨークの郊外のキャッツキルの山地をひと廻りした。 丁度南を襲っているハリケーン カテリーナの影響で 時々雨だったが 山の緑はところどころ紅葉も始まって 8月のこの最終日もニューヨーク近郊は初秋の気配だった。 ニュージャージー ペンシルバニアー10泊 ニュージャージーの北部でニューヨーク州に近いクリスタルリゾートにあるグレートゴージは27ホールスのゴルフ場で 私達がメンバーの浦和ゴルフクラブのグループが所有していたことがあり 行ったことがある友人からも話しを聞いていて またその当時マネージャーとして駐在していたN氏から資料を貰ったのでこの機会にリゾートに3泊してプレイした。 当時N氏の下で働いていたロリアン嬢は 「N氏のフレンドは私達のフレンドだ」と言って マネージャー他のスタッフにも引き合わせてくれて 皆の好意で結局プレイ代を受けとらずに 招待の形にしてくれたのには感激した。 またリゾート内の他のコースでもプレイしたが どちらも自然を生かしていてなかなか手ごたえがあった。 次に 更に西へペンシルバニアとの州境デラウエアー峡谷を越してすぐの山地ポコノのコテイジ ナオミビレッジ(インディアン女性の名前とのこと)に一週間滞在した。 ポコノもニューヨークに近く 昔 人に連れられて日帰りで一度だけゴルフに来たことがあって 是非再び訪ねて前の記憶を確かめたいところだった。 ここは高原がそのまま大きなリゾートで ゴルフ場も20ヶ所近く点在する。 緑の中を走ると鹿が見え隠れして 土地の人は野生の動物をミンクにいたるまで数種類あげてくれた。 ポコノに入った翌日の9月4日(日)はレイバーデイで この日を境に夏のバケイションシーズンは終る。 最後の週末で宿の庭先のプールも子供連れで賑わっていたが それが終ると名前の通り 静かな村に戻った。 夕方の木陰の庭には鹿の親子連れが現れグースの群れが降り立って それを見ながら野外で早めの夕食をとる。 夜涼しくなる高原は蚊も蠅もいない。 昔の記憶を辿りながらプレイしたポコノメイナーのゴルフ場は雄大な林間コースだが 当時の名門もその後増えた新興コースに押されているのか 今はやや荒れている感じ。グリーンフィーもそれなりに安かった。 次に宿のあるポコノホームズの部落から木漏れ日の小道を少し走ってバックヒルで またデラウエアーギャップの峡谷に近いファーンウッドでこの旅行最後のゴルフをした。 旅の終わりのこのポコノの一週間はこの旅行を更に印象深いものにしてくれた。 帰りの頃は 庭の大きなメープルもやや色づいて この高原が真紅に染まる秋も近いことを思わせた。 さて 明日はニューヨークで車を返すので 車のトランクに積んだまま2ヶ月間に貯まった旅行のパンフレットなどを整理して 捨ててゆくもの 持ち帰るものの他 AAAでくれた分厚い資料などは勿体ないのでニューヨークのホテルに置いてゆくものなどに分類する。 9月9日の朝 いよいよフロントの小母さんと別れを惜しむ。 9月末には早くも見事な紅葉になるとのことで 本当に秋にまた訪ねたくなる。 帰る前に もう一つ昔の記憶を再現したかった。 街道筋で昼に鱒のバター焼きを食べたことで ハイウエイに乗る前にレストランのメニューの片隅にブルックトラウトの名前を見つけて嬉しかった。味もまた良かった。 ニューヨーク−3泊 ハイウエイ80に乗ってデラウエアーギャップの峡谷を渡ればニューヨークへ一本道だが そのままも 惜しいので しばらく街道を峡谷沿いに走って 次のインターから一路ニューヨークへ向かった。 徐々に車線も増えながらも週末で次第に混み合ってくるハイウエイをジョージワシントンブリッジを渡ってマンハッタンへ入る。 往きに泊まったベストウエスタンへ荷物を下ろして Hertzへ車を返しにゆく。スタート時502マイルのメーターが今は5220マイル 約7500キロ走ったことになる。 受け取った女性に 「たくさん走ったよ」 と言ったところ笑いながら 「It's enough !」 とのこと。
出発前日の昼は旧知のニューヨーク在住の日本人医師M氏夫妻に招ばれた。フィフスアベニューと60ストリートの豪華なクラブで ブッフェスタイルのどの料理も流石に美味しく ワインを飲みながら旅行や健康の話などで盛り上がった。 心の中では自らの今回の旅の無事を祝福した。 出発の日はブッシュ大統領の国連出席のため 前日から街はバリケードまで廻らした厳戒態勢のため終日車が渋滞していた。 9月13日朝は早めに5時起きしてケネディー空港へ向かったが 市内に向かう反対車線はマンハッタンの入り口で全車両検問のため 延々とじゅずつなぎで これを見ながら丁度良いGood Bye のタイミングだった。 あとがき アトランティック カナダは始めてのところだったが 幸い左程戸惑うこともなく人々も親切で順調な旅行が出来た。 何よりも無事故だったが 途中車を止めて適当な昼寝ができる余裕のある日程だったのがよかった。 滞在とも移動ともつかない中で ゴルフが出来ればと思ったが ほぼ満足した。その上胃にやさしいシーフードに恵まれ また度々の梅干がゆもおおいに役立った。 2ヶ月の長期に亘って 27ヶ所に滞在し その間を常に車で移動するだけで おもに景色とゴルフを楽しむという旅行だったので 誠に平板な記録となりました。 目次に戻る |