トルコ旅行記
早田和夫 会員

  福岡市の早田です。私は平成14年9月、同僚のA氏と二人(前回のNZ個人旅行も一緒)でトルコを12日間旅行して来ました。その旅行記を6回に分け、yaa-lsc/MLに投稿した文章を、ほぼそのままの形で以下に紹介します。



1 イスタンブールからベルガマへ
● 9月1日(日)福岡国際空港からマレーシアのクアラルンプール国際空港に約6時間搭乗しまして、乗り継ぎに約7時間後、ドバイ経由で(約4時間30分フライト)2時間後ドバイを離陸して、トルコのイスタンプール国際空港に2日(月)早朝到着(7時間フライト)。朝8時30分から観光バスで4時間、ダーダネルス海峡(ヨーロッパ側からアジア側へ)をフェリーでチャナッカレへ渡りました。

 トロイ遺跡(ホメロスが抒情詩「イーリアス」で語られたトロイ戦争の舞台になった所)は、長年の攻防を繰り返し、地層が現在7つに成っていました。入口にはホメロスの巨大木馬が迎えてくれました。これはトロイヤ軍とギリシャ軍との10年間の戦争でギリシャ軍が攻めきれず巨大木馬を残し、トロイヤ軍がそれを城内に戦利品として引き入れたため木馬の中のギリシャ兵50人が城に火を放ち攻め落としたとされるものです。
この日チャナッカレの海岸沿いのホテルに宿泊。バスの走行距離355`でした。

●3日目はベルガマへ。トルコでもっとも豊かでホメロスが抒情詩を歌いシュリ マ ンが胸躍らせたエーゲ海の古代文明、アクロポリス遺跡は紀元前2,000年頃 創られた都 市 でエジプトのアレクサンドリアと肩を並べたくらいの都市だったそうです。 都市は、上市、中市、下市と三重層構造で、水道遺跡があり上下水道があった。
 上市はゼウスの祭壇、アテナ神殿は見事な遺跡で豪勢な当時を偲ばせました。他に図書館、野外劇場、体育館があり古代ギリシャ文明に驚かされました。
 ベルガマのもう一つの遺跡はトルコ軍施設の側にあるアスクレピオン遺跡です。 これは、神の声による心理治療の場でした。ローマ時代の医療センターの跡といった所で、患者に水のせせらぎを聞かせたり医師が伝声管でささやき乍ら患者の心を鎮めていたものと思われました。

  宿泊はクシャダンでバスの走行距離は450`でした。明日4日目はエフェソンです。 聖母マリアが晩年すごした家などに行きます。
 
ガイドはトルコ人で日本語達者、博学で親切な青年、名前はフセイン君どこかで聞いた事 ある名前ですね。怖くは無いよと言っていました。(冗談。。。)でも楽しい旅になりましたよ!

 写真を添付いたします。往時を偲んで見て下さい。  
 
 アクロポリス遺跡 

2  エフェソスとパムッカレ

 ●4日目(水)エフェソスです。(できればトルコ地図参照)
 ここは、聖母マリアが晩年を過ごしたと伝えられた所で、小さな教会のような石造りの建物が有りました。

 エフェソス都市遺跡はアルテミス神殿を中心に発展し紀元1世紀〜2世紀にかけて造られた野外劇場は収容人員2万5千人の大きなものでした。また華麗なケルスス図書館は見事なものです。
エジプトのアレキサンドリア図書館、ベルガマの図書館に次ぐもので、12万冊の蔵書があつたそうです。
古代ローマの文化技術の高さを示す水洗トイレ(私はこれに座りました)、音楽堂、公共浴場など数々ありました。

 アルテミス神殿は古代世界七不思議のひとつで総大理石の神殿は世界最初で、大理石柱127本神殿の大きさもギリシアのパルテノンを凌ぐもので、内装は宝石が散りばめられた15mのアルミテス像が安置されいたとか。凄いです。

 午後からは、バムッカレ観光。2世紀に作られたヒエラポリス遺跡は、石灰棚の上にある広大な遺跡です。地震で崩壊寸前でした。1万人収容の劇場、各所にレリーフが残っていました。
 綿の城は(ヒエラポリスと言う名は、トルコ語で綿の城)階段状の不思議な温泉です。高さ200m幅1`の純白の石がツララのように下がっていました。


 綿の城温泉(ヒエラポリス)はパムッカレ温泉と呼ばれています。
  此処は並外れた自然の驚異だと思います。地面から湧き出た石灰成分を多く含み摂氏35度の温泉水が高さ100mから山肌を流れ無数のプールを作っていました。心臓病、高血圧、リュウマチ、目や皮膚病、消化疾患、等の病気のある人は効果がありますよ!
 パムッカレ温泉

3 アンタルヤからコンヤへ

●5日(木)はアンタルヤです。アスベンドス遺跡はアウレリウス帝時代に造られた収容能力2万人と言う野外劇場です。訪れた時は観客席中央部でカチン、カチンと修復作業を行っていましたが、ローマ時代の遺跡としてはほぼ完全な形として残っていました。

  電気も拡声器も無い時代に広大で高い所まで観客席への音響効果はバッグンで日本の唱歌「サクラサクラ」を歌ったところ、観客席中央部に居た外人さん達に大喝采を受けました。ちょと恥ずかしかったですね!

 ベルゲ遺跡は聖パウロも布教活動をしたと伝えられる広大な規模を持つ古代遺跡で今は、崩れかけた城門、アグラ跡が点在していました。

 シデ遺跡はアポロ神殿がありますが、ここはトルコの最も有名な古代都市で、シデとは(果物)ザクロの意味だそうです。屋台でザクロをジユースにして売っていましたが、ちょっと甘酢ぱい味がしました。
現在は、リゾートタウンで2つのビーチ、沢山の店があり観光設備が整った街と言ったところでしょうか!その他クルジングの滝があり自然公園と成っています。

 今日の宿泊は、アンタルヤでバスの走行距離は275`でした。

●6日(金)はコンヤです。ここはコンヤ県の首都で大きな街でした。
カタライ神学校は高官カタライにより建造された神学校で現在は陶器博物館です。

 メブラーナ博物館は旋舞によって神と一本化を得る神秘のメブラーナ教団の霊廟跡で、エメラルド色タイルに覆われた塔が印象的でした。

 カッパドキアに向かう途中シルクロードのキャラバンサライ(隊商宿)に立ち寄りました。この日の夕方物凄い雷雨とヒョウに見舞われ付近の農作物は全滅しましたが、カッパドキアに着くころは上がりとても美しい夕日が見れました。

 この日はカッパドキア宿泊バスの走行距離は515` 今日はこれで終わりますが続編をお楽しみに!  
 ベルゲ遺跡の崩れかけた大きな城門
4 カッパドキア

 ●7日(土)カッパドキア観光です。
 Οカイマクル地下都市はカッパドキア一帯を地中トンネルを複雑に掘りめぐらした地下都市で地下20層からなり、標識どおり進まないと迷子になり、一生地上に出られないとか。そのスケールの大きさに驚きました。

 Οギョレメの奇岩群はアナトリア高原の中央に奇岩が林立し、ギョレメ渓谷、トンガリ帽子のような鋭く尖った三角形の岩峰が見渡せました。
 ここは、迫害を逃れたキリスト教の修道士が岩峰に蜂の巣のように穴を掘り、内部に壁画を書いた洞窟修道院、洞窟聖堂が有りました。

 Οウチヒサールは洞窟内にある頂上へ向かう階段を登りますとそこにギョレメの奇岩が雄大で奇妙な景色が広がっています。

 Ο洞窟レストランでランチ。
チョツト変った雰囲気の洞窟レストランで、洞窟内は涼しくトルコ料理も美味しくトルコワインも最高です。
 ここは岩を刳り抜いた土産物店、民家、ホテル等あります。

 Ο大塩湖トゥズ湖を経由して、トルコの首都アンカラへ向かいましたがトゥズ湖は広く夕日が素晴らしかったです。トルコの塩の大半はここで生産されているとか。 バスの走行距離は285`でした。

 Ο夜行寝台列車 2段ベットでアンカラ〜イスタンブール間454`を一晩かけて走りイスタンブールのハイダルバシャ駅に翌朝着きます。
この駅は、アジアで最初に造られたネオゴシック建築の建物で何かしら荘厳で重みのある駅でした。

 では、今日はこの辺で終りにしますが、次回はイスタンブール観光と成ります。
 
 カッパドキアの奇岩群

5 イスタンブール ブルーモスク

● 9月8日(日)は寝台列車でイスタンブールに早朝着後、観光バスでボスポラス海峡を渡り レストランで朝食を取りましたが、このボスポラス海峡はイスタンブールの 街を二分しています。アジア側とヨーロッパ側の境界です。かっては黒海と地中海を結ぶ運河の役目を果たしていたとか、またシルクロードも此処に帰着した文化の交流点でした。

 朝食後、古代競馬場跡を見学しましたが今は公園でした。古代人はここで競馬を楽しんだでしょう。王様が見学した建物がありました。すぐそばにブルーモスクがありますが正式には「スルタンアフメットジャミイ」と言 います。内部の壁や柱が青を基調にしていることからブルーモスクと呼ばれています。17世紀に建造され6本のミナレットをもつモスクで、オスマン建築の傑作と言われ 高さ43mのドームはビザンティンの建築様式でタイルやステンドグラスが幻想的で した。

 地下宮殿とは地下貯水池でビザンチンのユスティヌアヌス帝の時代に建設。
広さが9800m平方もあり異教の神殿から336本もの石柱が天井をささえメドゥサーの頭部(顔)が土台で上下逆さまと横向きの柱が二つありました。

 トブカブ宮殿はオスマン王朝の壮大なコレクションがあり宝物室は目も眩むほどの 宝石を散りばめた装飾品ばかりでした。なかでも世界で5番目のダイヤ「スプーンの ダイヤモンド」柄に3つのエメラルドが埋め込まれた黄金の「トブカブ短剣」があり ましたが、 撮影禁止で写真に取れないのが残念です。
後は、第6弾として報告いたします。今日はこれまで!
 ブルーモスクの威容

6  ドルマバフチェ宮殿とボスポラス海峡クルーズ

 今日は、いよいよ最後のトルコ旅行記と成りました。
● 9月8日(日)午後はドルマバフチェ宮殿とボスポラス海峡クルーズ夜は、ベリーダンスのデナーショウでした。

  ドルマバフチェ宮殿はボスポラス海峡のヨーロッパ側の岸に沿って、全長600mの宮殿で スルタン.アブドゥルメジット1世によって19世紀中ごろ建てられたもので、56本の円柱と、750個のキャンドルがついた4.5dの重さがあるクリスタルシャンデリアが広大なプション.サロンにあり、目を見張りました。
  トルコ共和国の建国の父であるアタチュルクは、1938年、この宮殿で亡くなています。 宮殿内は写真が撮れませんが、宮殿前の衛兵は微動だにせず、人形のように立っていて、写真を撮らせてもらいました。

 イスタンプールを旅するならば、ボスポラス海峡クルーズを抜きにするなと言われる位です。この海峡クルーズを楽しむには沿岸に沿ってジグザグに走る観光船に乗る事をお奨めします。

 まず、クルーズでは壮麗なドルマバチェ宮殿、ユルディズ宮殿、インペリア.パビリオンと 次々と姿を見せてきます。海峡の沿岸は過去と現在、そして絢爛豪華さと シンプルな美しさと対比を見る事が出来ました。ヤルと呼ばれる木造家屋 近代的なホテル、大理石の宮殿、優雅なヨーロッパ人居住区の隣は小さな漁村があったりしました。想像して見てください。

 夜は、食事しながらの「魅惑のベリーダンス」、アラビヤの踊りでイスタンブールの芸術だそうで、激しい動きの美女の踊りはなんともエロチック的で素晴らしいものです。男性はうっとりと悩ましく感じますが、女性の方も一度必見されるべきダンスショーかと思います。

● 9月9日(月)はトルコを13時30分の飛行機でドバイ経由マレーシアへ。
 午前中はスレイマニエ.モスクは巨大なドームと4つの鋭い尖塔をもつていて モスクの中でも最も美しいそうです。1550〜1557年オスマン帝国の黄金時代に 建築家シナンによって建造されたもので、内部のミフラブ(祈りの為の壁のくぼみ) と説教壇は見事な彫刻が施された白の大理石と、美しいステンドガラスは窓から 差し込む光が鮮やかでした。

 後は、グランドバザールにショッピングでしたが、縦路・横路に豪華な店があり迷子になりそうで何も買わず、動かずそのまま立ち竦んでいました。実は、あまり安くは無かったのと、貴金属店が多いからでした。なんーだ...つて感じですね。でもトルコ観光のメッカでトルコ人以外の外人さんが多いです。外国人相手のバザールなんでしょう。

 さあーいよいよトルコも終りました。時差が約7時間 通貨は20,000,000TLが1,500 円 10,000,000TLが750円とゼロがやたらと多く戸惑いました。治安は良いです。両替は空港、銀行、郵便局(PPTという黄色の看板が目印)ホテルは手数料が割高です。
トイレは有料が多く、250,000TLいります。日本式タイプと洋式があります。
チップはホ テ ルの枕銭$1、 トルコリラでは1,500,000TL ホテルのポーター$1、レストランやタクシーは料金の約10%、 電圧は220V−50Hz プラグは横穴2穴のCタイプ、水はミネラルウオーター中心にしました。
トルコはインフレでトルコリラと日本円よりは米$が強いです。
経由地のドバイは日本円は使えず、米ドルはOK、日本円しか持たず安い土産物が買えず悔しい思いをしました。(10日〜11日とマレーシア観光して12日帰国)。

  以上、長々と書きましたが、ご拝読いただき有難う御座いました。脱字誤字の落丁が多く有りました。お詫び申し上げます。最後にMLの今後の益々の発展 と皆様のご健勝を祈りまして、終章とします。

(ミナレットと聞きなれない言葉ですね、ちょと触れて見ます、トルコは99%がイスラム教徒で、トルコを旅しますと至る所に大小のドームが目に付きます。ドームの側にロケットような形をした塔で、昔は電気がないころは、これに人が登り日に6回のお祈りを大な声で経文を唱えていたとか。現在は拡声器で経文が聞こえます。)

                                                         早田 和夫記

添付写真 ボスポラス海峡をクルーズ中の景色 (ブールモスク方面を望む)


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