続 suzucoのホノルル滞在記  

写真・文 鈴木幸男  Web編集 独法師

(2018年5月1日~20日)


                   <戦艦ミズーリ記念館>

島へ着いたら最初に「戦艦ミズーリ記念館」の方へ先に寄ります。島には軍人家族も済んでいるのでしょう、幼稚園なども有りましたし、住宅なども沢山建っていましたが、空き地も沢山有りましたね。

「戦艦ミズーリ記念館」に着くと入り口に「ニミッツ提督」の銅像が立っていました。戦艦に入る前に、その前に有る像を見て笑ってしまいました。何かこんなシーンは昔、エルビスプレスリーの映画で見たようなことが有りますね。

 

   
「ニミッツ提督」の銅像   「戦艦ミズーリ」

           

   
 見た事のあるシーンの人形  立派なボーディングブリッジが有ります

    

   
 日本人が二人待っていてくれます  ガイドの説明を聞きます

その後、その艦にかかっているブリッジを上って入ると、すぐ日本人ガイドが案内に来てくれます。ある程度日本人が集まると、ツアーガイドを開始しますと言う事で少しそこで待ちました。

日本人は団体が多いので、少し待つと団体の到着で、その後これからの説明を聞いて館内の見学開始です。

まず、ミズーリの主砲について説明が有りました。ミズーリの主砲は16インチで、戦艦ヤマトは18インチだそうです。長さも高さもミズーリの方が上ですが排水量は大和が2万トン以上大きいとの事でした。

 

   
 16インチ主砲  ガイドの説明を聞き入る

 

   
 右が砲弾、左が50kgの火薬袋  湾岸の地図と打った砲弾の数

 

主砲の砲塔の横には湾岸戦争に参加した時に打った球の数が書いて有りました。この数は砲塔ごとに違いました。又、砲弾の実物もそこに有りましたが、

重さは1個1トン前後あったそうです。それに使う火薬も、一袋50Kgの物を6個使用したので1回に300kgの火薬を使います。

ミズーリは太平洋戦争後一時引退しましたが湾岸戦争で再び駆り出されて参戦したそうですが、その後1992年に再度退役をして此処に係留され一般公開されているそうです。

1945年9月2日東京湾内にて停泊中に、マッカーサー元帥を始め、連合軍代表者と、日本から重光葵外務大臣と梅津美治郎参謀総長ら11名の日本側代表者との「降伏文書調印式」が行われました。それで太平洋戦争が終わったのでした。

 

   
 梅津由次郎1945年に調印式を行った場所   これがそのメモリアルプレート

   
 調印式の写真、左がマッカーサー  調印文書のレプリカ

ミズーリに突っ込んだ神風特攻隊が有りました。右舷にぶつかって爆弾は破裂せずに炎上したそうで、パイロットの上半身が甲板に残っていたそうです。

当時の艦長の「ウリアムス・キャラハン大佐」は、回収された特攻隊のパイロットの遺体を海軍葬で手厚く葬るように指示しました。

当然、乗組員の中には、なぜ敵国のそれも特攻で自分たちが死ぬかも知れなかったのにそんな事をしなければならないんだと不満を言う人間も居ました。しかしキャラハンは「この日本のパイロットは我々と同じ軍人である。生きている時は敵であっても今は違う。君たちと同じにお国の為、国民の為に激しい対空砲火をかいくぐってここまで接近してきたパイロットの勇気と技量は、同じ武人として称賛に値する。よってこのパイロットに敬意を表し、水葬に付したい」と、乗員の反対を押し切って海軍葬に処しています。キャラハンこそ武士道に値する人間だと、聞いているうちに涙が出てきました。

実は、彼の実兄は、日本との戦いで戦死していますから、日本人に恨みを持っていてもおかしくないと思いますが、それなのにこのような事が出来るとはすばらしい人では無いでしょうか。

 

   
 調印式の場所で説明   このヘリのゆがんでいる部分に特攻機が来た

   
 特攻機がぶつかった瞬間  海軍葬の式典

特攻で突っ込んできた飛行機のパイロットは長い間特定できなかったが、最近に成ってやっと判明したそうです。

 

艦塔の方へは階段で上っていきますが、余り上までは入れませんでした。艦内の下の方の部屋は沢山入る事が出来ましたが、迷路の様で迷子に成りそうなくらいでした。戦争中に、こんな狭い通路や部屋で暮らすのはストレスが溜まるだろうなと思いました。

 

   
 トイレは近代的ですが直したのかな?  操舵室らしい?

   

   
 艦橋から見た主砲    砲塔の内部

   
 5インチの副砲  副砲塔の内部

             

このミズーリには、湾岸戦争へ行く前に近代的な艦船として大規模な改良がされているそうです。その他に新たに「ハプーンミサイル」と「トマホークミサイル」と言う近代兵器を搭載しています。

 

   
 下級士官の寝室?  上級士官寝室?

 
 食堂と厨房

              

又、船内には、神風特攻隊やそれにかかわる、ビデオと写真や、資料、遺品などが展示されてある部屋がありました。千羽鶴も下がっています。説明文も、此処だけでは無く殆どの場所に日本語の説明文が有ります。日本人向けにやっていることは間違いないのですが、そこまで米国は日本に対して寛容に成ったのでしょうか?

でも、かの大統領がやっていることを見ていると、アメリカには本当に色々な人たちが居るんだなぁと改めて感じますね。ホノルルであちこち見ても本当に変わった人たちが沢山います。考えの多様化や価値観の違い等と言えばそれで収まるのでしょうか、私には納得できませんね。

 

   
 日本の戦闘機の関係資料  ビデオで対戦の様子を流している

     

   
 神風特攻隊のビデオ  資料室

                 「太平洋航空博物館」

「戦艦ミズーリ記念館」を出て「太平洋航空博物館」へ行きました。艦を出て、シャトルバスの乗り場で待ってからバスに乗りすぐ着きました。

 

   
 バス乗り場、日本語の説明有ります  「太平洋航空博物館」

       

   
 料金案内板、日本語も有ります  この紙バンドがチケットの代わり

     

格納庫37が博物館に成っています。中にはゼロ戦やB-25爆撃機などが展示されています。飛べるゼロ戦は世界中に3機しかないそうです。神風特攻隊の説明やビデオも流れていますが、「戦艦ミズーリ記念館」ほどの感激は全然ありませんでした。

 

   
 ゼロ戦  P40ウオーホーク?

 

                      

壁に下がっていた説明文には、日本の戦闘機の事が詳しく書いて有りました。中島飛行機、愛知製作所、三菱重工などの飛行機メーカーの説明が有ります。懐かしい名前が並んでいますが、戦後はみんな自動車を作っていましたね。中島飛行機がスバルで、三菱は三菱自動車、愛知は日産系で愛知機械と言って愛知コニーと言う、今でいう軽自動車の様な小さな車を作っていました。こんなところでこの様な会社の名前を見るとは思いませんでしたね。懐かしい!!

 

   
 日本製戦闘機の説明  「武運長久」の日の丸旗 

    

今回は分からなくて行けませんでしたが、この37格納庫の近くに79格納庫と言う所が有って、そこにはもっと沢山の飛行機が展示してあるらしいです。私は分からなかったので、今回は行けずじまいで大変残念でした。もし皆さんが此処へ来た時は忘れずに見に行ってください。外にも飛行機やヘリコプターなどが展示されています。

その後に、戦闘機のフライトシュミレーションを体験させてもらいました。これには、チケットを買うときに置いて有るパンフレットの中に予約を書く欄が有りますのでそれを記入して入り口の受付に提出すると体験させて貰えます。

中々珍しい体験なので楽しかったですね。機銃は無制限で打てますが、ミサイルは8個までです。本当に操縦かんを握って操縦している気分になれますが、ミサイルも中々当たらず、爆弾もとんでもない所に飛んでいくし、車に酔ったような気分に成ってしまいますね。

 

   
 何台かの操縦席が並んでいます  飛行開始!!

           

   
 双発のプロペラ機です   中々難しい!!

「航空博物館」を見た後、又シャトルバスでビジターセンターへ戻りました。センターの手前右側に「潜水艦ボーフィン博物館」と言う所が有り、海の上に潜水艦が浮かんでいます。此処も今回私たちは見ませんでした。

 

   
 潜水艦ボーフィン  フォード島への橋と「アリゾナ記念館」

   

この潜水艦は、太平洋戦争末期に作られて参戦し、民間船を沢山沈めて子供たちも沢山亡くなったと言う事を他から聞きました。この様な事は、此処の案内にも何処にも勿論書いて有りませんが、そう言う事だったらしいです。戦争とはいえ、無差別に罪のない子供まで殺したり、無差別に爆弾や水爆、原爆を落とすと言う事は如何なものかと思いますが、でも、それが戦争ですかね?

此処からは、目の前の海の上に白い「アリゾナ記念館」が見えます。今回は行かなかったのですが、次回又もし来た時は行って見たいと思います。

 

   
 戦艦ミズーリ」と「アリゾナ記念館  戦艦アリゾナの錨

    

チケット売り場の向かいには「太平洋戦争記念館」の様な建物が有って、ここにもゼロ戦や降伏調印式の写真や資料が飾ってありました。入り口には、真珠湾攻撃の合言葉「トラトラトラ」と書かれた説明文も有りました。

 

   
 「太平洋戦争記念館」?

 

これらの記念館や博物館を見て感じたのは、私も戦後の生まれですが、戦争は人間を気違いにしてしまいますね。勝つためなら何をやっても正義だという考えが、人そうさせるのでしょうか。

それでも直、世界中のあちこちで同じような事が起こっています。人間の欲と言うものは本当に限りが無いですね。幾らでも欲しがる国も沢山有るし、直接やっていないから良いだろうと「代理戦争」を楽しんでいる輩も居ます。第三次世界大戦も近いかな???(冗談ですが!!)

それから、バスに乗って「ワイパフ・トランジットセンター」へ行きました。そこから、433番バスに乗り換えて「ワイケレ・プレミアム・アウトレット」へ行って見ました。

 

   

「ワイケレ・プレミアム・アウトレット」

 

此処もお客が余りいませんでした。此処より此処の海側に有る「ワイケレ・センター」の方が人気が有るらしいですね。今回、もし行ければもう一回来ようかと思いますがワイキキから結構遠いので少し億劫ですね。

此処で私は「リーバイス#505」のジーンズを買いました。最近、太ったりやせたりでサイズが合わなくて困ります。

 

 

           〈ダイヤモンドヘッド〉

念願のダイヤモンドヘッド登山へ行きました。登山と言っても、高さは230mそこそこの、丘の様な山ですが、海のすぐそばに有るので、高さ以上は感じますね。それより名前が良いですね。名前の由来は、山に転がっていた石(凝灰石)をイギリスの船員たちがダイヤモンドと勘違いして付けたと言う事です。現地の名前では「レアヒ(マグロの額)」と言うらしいです。

山への入場料は1ドルです。噴火口へ入る外輪山のトンネルをくぐっていった先の駐車場の所にある「ダイヤモンド・ビジター・センター」の料金所で払います。日本人だと分かると日本語の説明書をくれます。片言の日本語は通じます。

後でわかりますが、行くのなら朝7時ころか、9時以降に行った方が良いですよ。理由は、後で説明しますが、入場時間は朝6時から18時までと成っています。

 

   
2番バス終点「KCC」バス停  そばにある教会 

         

山の外側の外輪山の外にバス停が有ります。一番近いバスは23番のバスですが、本数も少ないし、私たちの滞在先の近くには来ないので、2番バスに乗って、先日行った「LCCファーマーズマーケット」のバス停の、終点の「KCC」で降りてから5分ほど歩くと、23番のバス停に着きます。そこから右折して坂道を上ります。

なだらかな道を5分位歩きます        ここが23番バスのバス停  

   
外輪山のトンネル  トンネル内、歩道が狭いので注意!

       

 
「ビジター・センター」入り口 

     

途中外輪山のトンネルを抜けてしばらく歩くと、「ビジター・センター」が見えてきます。

トンネルを抜けたころから車が多く成り、料金所まで繋がっていました。団体用のバスも10台位繋がっているでしょうか、又ワイキキトローリーも並んでいました。先行き嫌な予感がしましたが、来てしまったのでしょうが有りませんね。時間は8時ころでしたので最悪でした。後30分早ければと悔やんでも後の祭りです。

 

   
チケット売り場、1ドル/人   ダイヤモンドヘッド・ビジター・センター

   

思った通り、登山口の辺りは人人人です。どんな人達だと思いますか?

ピンポ~~ン!!当たりです。日本人の団体のバスから降りた人達でした。

それも女性が7~80%です。大きな話し声を聞き、姿格好を見て直ぐ分かりましたね。関西方面から来た女性の方々です。その数は、数百人いるでしょうか。男性は本当に1~2割しか見えませんでしたが、どうしたのでしょうか?

それから登り始めましたが、上っても、上っても大阪のおばちゃんらしき(?)方々が狭い登山道に並んでいます。追い越し、追い越し進むしかしょうが有りませんが、下りてくる人もいるので思うようには行きません。

富士山の登山道も、最近シーズン時には、芋の子を洗うようなと言う形容詞が付きますが、それよりはるかに酷いですね。私たちは、足には自信が有りますので(ハワイに来ても、1日1万~2万歩は歩くようにしています)問題はないのですが、おばちゃんたちは、あちこちで止まってはおしゃべりをしていますので本当に困ります。多分、他の地元人や外国から来た人たちもそう感じたと思いますよ。恐るべし○○○!!です。

 

   
こんな所を上ります  凄い人でしょう! 

           

登って行くと、その先に階段が有り、その上がトンネルに成っています。今は小さなライトが付いていますが、昔は懐中電灯をもって歩いたそうです。

 

   
トンネルの入り口です  中は結構暗いです 

           

私たちは、トンネルを越えた所にある急な99段の階段と、らせん階段を通って近道しましたが、う回路としてなだらかな道も有りますので、心配はいりません。階段とらせん階段は、相当体力に自信ないときついですよ!!

ここでも、日本人団体の添乗員らしき人が、う回路方向へ案内していました。この階段もらせん階段も、この山が戦時中、砲撃の指示をするための監視所だった跡らしいです。それらしきものが彼方此方に残っていますね。だから、こんなところに金属製のらせん階段なんか作ったのですね。戦時中は、此処を色々な人が行き来して居たのでしょうね。

行はこの階段で良いのですが、帰りは渋滞しますので、う回路経由で降りた方が良いですね。

 

   
きつい上り階段です  99段あります 

らせん階段を登りきると出口が有ってやっと明かりが見えました。そこも監視所の様な部屋に成っていて全部コンクリート造りです。

その部屋の窓からは外の景色が良く見えますが、勿論ガラスなどは無いようです。

 

   
やっと明かりが見えた  外の景色、綺麗ですね! 

        

頂上には展望台が2か所程有りますが、此処も人でいっぱいです。替わりばんこに?仲間で記念写真を撮るので何時までも動きません。

展望台からは、綺麗な海と「ダイヤモンドヘッド灯台」が左下に見えます。右側にはホノルルのビル群とワイキキの浜が見えて大変奇麗です。

 

   
もう一息です  頂上はご覧の通り、8割がた日本人 

      

登山口からここまで、混んではいましたが私達の足で20分くらいです。「KCC」のバス停から登山口まで20分くらいですから、真っすぐくれば40分くらいで頂上に登れますね。トイレは、途中には有りませんので、「ビジター・センター」で済ませた方が良いです。但し、女性側は何時も沢山並んでいますので、もしバスで来た場合は、「KCC」バス停の近くの教会の側に有るトイレを利用すると、空いているし良いですよ。

 

   
「ダイヤモンドヘッド灯台」  ダイヤモンドヘッドからワイキキの眺め 

    

帰りは、う回路を周りましたが、途中に壕の跡などが有り、戦争時代は重要な施設だったようです。

下りは、登山口まで15分も掛からなかったと思います。ダイヤモンドヘッドの案内板の前では、大勢の方が記念撮影の為に列を作っています。私たちは、横にある駐車場の先の、ひろ~~い原っぱで写真を撮りました。

 

   
帰りも、上り下りの人でこの通り?  下に着いてもこの通り? 

ベンチでポテトチップを食べていると小さな雀の様な鳥が一羽飛んできました。ふざけ半分でポテトチップを砕いてあげると喜んで寄って来て食べています。全然怖がりませんね。

ハワイでは、ハワイ王朝の時から鳥は神聖な生き物として尊ばれ大事にされていたそうです。王様の冠やマントは鳥の羽を紡いで作ったそうで、一羽から4本くらいしか取らないので1枚のマントを作るのに4万羽の鳥が必要だとの事です。勿論羽を取った後は放します。どうやってそれを集めるかと言うと、税金の一部として徴収したそうです。取る人も1羽から4本位しか取っては駄目なので大変ですね。

 

   
良いバックですね!!汗まみれですが!  鳥さんたち 

         

最初の小さな鳥だけでは無く、その内大きな鳥も来ちゃって、小さな鳥は追い払われてしまいました。

「ビジターセンター」に有る案内板は、23番バス停の側にも同じものが有りますし、そこは、人もいないのでゆっくりと記念写真を撮れますよ。

 

 
此処がそうです。誰も居ないでしょう!! 

  

帰りは、又「KCC」のバス停から2番バスに乗って途中の「カパフル通り」で降りました。ぶらぶらしながら「セイフウエイ」と言う綺麗なスーパーでうろちょろしていると、日本語をしゃべるおばさんが寄って来て、“日本から来たのか?”と聞いてきました。“そうだ”と答えると、これを使うと会員価格で買い物が出来るから使いなさいと、おばさんはカードをくれました。品物の値札を見ると二通りの金額が書いて有ります。安い方が会員価格の表示だそうです。ありがたく頂いて利用させて貰いました。有難うおばさん!!

このスーパーは綺麗で、それからパンの種類が豊富で美味しいです。特に私が好きなクロワッサンで、ハワイで初めて美味しいのに巡り合えました。

 

   
「セイフウエイ」  此処はパンが美味しい 

       

   
余り混んでいない   

 

         

その後、近くにあるベトナム料理店へ行って美味しい「PHO」を食べました。

 

   
ベトナム料理「PHO kapahulu」  「 オックステイルPHO」が美味しかった 

 

           〈ビショップミュージアム〉

ホノルル市内にある「ビショップミュージアム」へ行きました。ワイキキからは2番バスに乗って終点の「カリヒ・トランジット・センター」の手前にある「N.school/kapalama」と言うバス停で降ります。降りたら道路を渡って「kapalama st」を下っていくと右手に見ええます。

   

「ビショップ・ミュージアム」     入り口の「ジャボルカ・パビリオン」

 

此処は、「カメハメハ大王」の直系の末裔である「バーニス・パウアヒ王女」が作った博物館ですが、建てたのは王女の夫であるCR・ビショップで、彼女の死後、彼女の意思を形にしたものです。10:30,11:30,13:30,14:30と4回の日本語ガイドによるツアーが有ります。「ハワイアンホール本館」の入り口に集まります。

ホノルル市内にある「ビショップミュージアム」へ行きました。ワイキキからは2番バスに乗って終点の「カリヒ・トランジット・センター」の手前にある「N.school/kapalama」と言うバス停で降ります。降りたら道路を渡って「kapalama st」を下っていくと右手に見ええます。

此処は、「カメハメハ大王」の直系の末裔である「バーニス・パウアヒ王女」が作った博物館ですが、建てたのは王女の夫であるCR・ビショップで、彼女の死後、彼女の意思を形にしたものです。10:30,11:30,13:30,14:30と4回の日本語ガイドによるツアーが有ります。「ハワイアンホール本館」の入り口に集まります。

 

 
 ハワイアンホール本館」

     

    

   
何でしょう?   「ノニ」ですね!! 

                       

   
ハワイ火山溶岩実演場の案内  溶鉱炉に溶岩が解けて入っている 

    

       

私たちは時間が有ったので、先に、本館の芝生の広場を挟んだ所にある「リチャード・マミア・サイエンス・アドベンチャー・センター」と言いう大変長いなの建物に行って見ました。此処はハワイの自然を紹介しているブースで色々体験型の催しが沢山有るようで、今日も小学校の野外活動か、小学生が来ていました。波乗り体験趣味レーションも有ります。地下に行くと火山の模型などが有って、又溶岩を人工的に作って説明するブースも有りました。

 

     
子供たちの実習、右が火山の模型    サーフィンの体験が出来る 

車座に成っていて、説明を聞いていました。学校の課外活動は何処の国でも一緒なんですね。その側には火山の模型が有って、火口ではマグマが煮えたぎっている様子が分かるように成っていました。

その1階に、サーフィンの疑似体験の出来る所が有って、私もやってみましたが、結構バランスが難しいですね。多分本当のサーフィンの方が簡単かもしれませんよ。

本館の左の建物は「ビショップ・ミュウジアム」と成っていますが、中では恐竜展をやっていました。恐竜の種類いも沢山有って、動くようになっています。慰安は映画などでも精巧な恐竜を作りますので、ここにある恐竜のロボットも中々良く出来ていました。

中では子供たちが沢山居て遊んでいました。有料らしいのですが、係員もチケット売り場も無かったのでそのまま入ってみました。表でもテントの準備などをしていたので、多分、土曜日の明日から何か有るのでしょう。

何処へ行ってもそうですが、私たち旅行社にはなかなか旬のイベントの情報が入って来ませんのでそれに参加する事は中々難しい所が有りますね。英語では流れているのかも知れませんが、残念ながら私にはすぐ分かりませんので難しいです。

 

   
「ビショップ・ミュウジアム」   恐竜展をやっていた 

     

   
恐竜と一緒に  大きいですね 

   

             

 

その後、時間が来ましたので本館の待ち合わせ場に行くと、ガイドの女性が来ました。日本人の女性でした。その内に若い女性が4,5人ぞろぞろと集まって来まして私達を入れて8人ほどのツアーが始まりました。

 「プリンセス・ケカウリケ・カリヒ・ルーム」で、カメハメハ大王からカメハメハ5世、その後の「ルナリロ王」「カラカウア王」「リリウオカラニ女王」と続くハワイ王朝の系図などを説明されて非常に興味深いです。説明も非常に分かり易く、美人なので猶更なのでしょうか???

その向かいの「ハワイアン・ホール・ギャラリー」は、3階まで真ん中が吹き抜けに成った回廊式展示場で、展示物も沢山有り、とても見ごたえが有りますね。1階は、海に纏わる神話や、宗教上の事や、ハワイ王朝が外国と交流が出来る前の事を展示して有ります。

2階には、昔のハワイ王朝時代の人々の暮らしと生活様式、労働や娯楽などに関しての展示物が多いです。3階は、カメハメハ1世からのハワイ王朝の軌跡を展示して有ります。

特に、3階の展示場には、歴代の王が使用した帽子やマントなどや、由来の品物が沢山展示されています。特に、帽子とマントは鳥の羽で作られていまして、このマントを1枚作るのに4万羽ほどの鳥が必要だったそうです。その理由は1羽の鳥から4枚までしか羽を取ってはいけない決まりの為、そのくらいの数の鳥が必要だったとの事です。

 

   
カメハメハ王の素晴らしい帽子とマント 

ハワイア王朝では、鳥は大変神聖な生き物で、殺すなどと言う事は出来ないのでそう言う事に成ったそうですが、どうやってそれだけの羽を集めたかと言うと、税金の一部として代納させたとの事です。それでみんな一生懸命に成ったのでしょうね。骨で作った釣り針と、ルアーや毛ばりが有ったのには、釣りをやる私としてはビックリでした。

 女王肖像画や遺品などを展示してあるブースも有りました。吹き抜けには大きな実物大のクジラの模型がぶら下がっていますが、反対側は、中が見えるようになっていて、本物の骨と骨格で作られていました。

 

 
クジラの模型 

                 

      

   
ハワイアンホール  美術館 

     

        

   
日本の尺八が飾って有ります  旧ハワイ民族の生活 

ド・マミア・SAC」へ行きました。12時から溶岩の実演が有ると言う事で見に行きましたが、既に子供連れが20人ほど来ていました。

 

   
溶岩についての説明  溶けた溶岩を少しこぼしています 

     

女性が説明後、消防服の様なものを着て、小さな溶鉱炉の中の溶けた溶岩を少しこぼして子供たちに見せて説明していました。私に取ってはそれ程興味のあるものでは無かったので直ぐに引き上げました。

ミュージアムを出てからバスに乗り、途中のチャイナタウンで降りて遅めの昼食を取りました。この広東料理の店は飲茶で有名な店で、客の半分くらいは日本人では無いかと思う位多いです。日本人御用達だけあって味は良いですし大変リーズナブルですね。今日も、ビールを飲んで二人でお腹いっぱい食べても40数ドルですから。お勧めですね!!

 

   
「中華民国」建国の父「孫文」の銅像  店の入り口 

   

   
満席状態です  何を食べても美味しい!! 

      

          

昼間は、人通りも多くて、又店の客も多いので良いのですが、もし夕食時に来る場合は周りは余り環境が良く無いので気を付けた方が良いでしょう。4時過ぎたら気を付けて下さい。

香港風の「大根餅」を食べて見ました。台湾の物とは少し違って柔らかいですね。でも美味しかったです。女房も、香港風はあまり好きではないけど此処のは食べられると言っていました。

 

   
香港風「大根餅」  エビそば 

          

    〈カカアコ・ファーマーズ・マーケット〉

ワード通りに有る「ロスドレス・フォーレスト」の駐車場で開催されている「ファーマーズ・マーケット」へ行って来ました。私はどう言う訳か市場が好きで、海外へ行っても市場が有れば必ず寄ります。ハワイでも同じで、彼方此方に行って見ました。此処は、「アラモアナSC」からも近いので観光客が多いかと思ったのですが、意外と地元の人たちが多かったですね。大変いい雰囲気です。

 

   
 「カカアコ・ファーマーズ・マーケット」  ハワイの花ですね~!

     

   
 コプラを取っている  胡蝶蘭がいっぱいです

           

   
 新鮮な野菜が沢山有ります           コアウッドの製品

 

休み場所が有って、そこではハワイアンの実演が有りました。食べながら聞く事が出来るので皆さん楽しそうです。

 

   
 「ポキ」を好みの味で作ってくれます  生音楽を聴きながら食事が出来ます

   

   
 小さなサボテンの盆栽?を売ってる  もちろん野菜も沢山!!

       

 

矢張り野菜関係の店の出店が多いですが、土産物に成る様なものも結構ありました。

私は、地元在住らしい若い男性が買っていた、生のマカダミアナッツを試食させて貰って、美味しかったので3袋貰いました。ローストしたマカダミアはよく食べますが、生は初めてです。美味しかったですね。生のマカダミアは中々売っていないそうで、この店もハワイ島から出店しているらしいです。一袋17ドルですが、3袋で48ドルにして貰いましたので、ローストした塩味のマカダミアも1袋買いました。

此処で支払いにカードを出したのですが、何処にもカードの読み取り機が有りません。お兄ちゃんは、やおらスマホを取り出して小さな機械をスマホに取り付けました。それでカードをスライドして読み取ったのです。金額などを見せて貰って暗証番号を入力するとそれで終わりです。

レシートが必要な場合はメルアドを教えてメールでスマホやPCに送るようになっています。スマホでここまで出来るのですね。初めて見ましたのでびっくりでした。

日本でも出来るのでしょうかね???

その店の隣に、矢張りハワイ島で採取している蜂蜜屋さんが出ていました。先日も、「KCCファーマーズ・マーケット」で一瓶、買ったのですが、ここのは、ハワイ島にしか咲いていないと言う花の蜜と言う事でついつい買ってしまいました。

 

   
 ハワイ島から来たマカダミヤナッツ屋さん  蜂蜜売りの日本人の兄ちゃん

    

 

蜂蜜は料理をする時に少し入れるとコクが出ますので私は良く使います。台湾で買った蜂蜜が無くなったのでちょうどよかったです。今の蜂蜜は、砂糖で薄めて有る物が多いし、中国製はヤバイので使いません。その上、此処の方がKCCで買ったより安かったので、良かったです。矢張り観光客の多い所は、値付けが高いのでしょうかね。蜂蜜を売っていた彼は日本人で、お姉さんを追ってハワイに来たけど、中々「グリーンカード」が取れないとボヤいていました。私も昔そうだったと言って慰めてやりました。

その後ごく最近できたワードビレッジのスーパーへ行って見ました。テレビでもオープンを流していたスーパーです。

 

   
 出来たばかりのスーパー  中はとても高級な感じ

         

 

 

          〈ホノルル日本文化センター〉

ホノルルの「日本人文化センター」と言う所が有ると言うので行って見ました。その前に、歩いていると、鳥居が見えましたので寄ってみました。

「石鎚神社」と言う神社だそうで、神社の前にはお御籤が下がっていました。今日は閉まっていましたが、お御籤とかお札を売る場所も有りました。結構この様な神社やお寺が有るのですね。

 

   
 立派な鳥居です  「石鎚神社」と有ります

 

          

   
             説明板  お御籤と社殿

 

今年は、1868年に日本から最初にハワイへ渡った人達から数えて150年に成る記念する年です。150年前に初めてハワイへ渡った人を「元年者」と言われてハワイの日系の方々に大変尊敬されているそうです。

何でもそうですが、最初に成した人は偉いですね。二番じゃダメなんですね、一番じゃなくては!!ワイキキからは4番バスで行けますが、歩いても4~50分で着くと思います。

 

   
 「ハワイ日本文化センター」  立派な建物です

   
 不思議な形の鳥居  展示場入り口

立派な建物で、その横には面白い形の朱色の鳥居が立っていました。でも、形がいまいち納得できませんでした?

横の入り口から文化センターの展示場に入る事が出来ます。受付で入場料を払い中に入りますが、大人10ドル、70歳以上は7ドルです。此処もガイドブックより値上がりしていました。

中には、初めて日本人がハワイの土地を踏んだころから、移住後の生活の様子や、太平洋戦争で強制収容所に入れられた様子などが写真と説明で見られます。

最初に有った写真は、宇宙飛行士でスペースシャトル・チャレンジャーの爆発で亡くなった、エリソン・ショージ・オニズカ(日本名:鬼塚承次)大佐でハワイ日系人の誇りと成っています。彼はハワイ島のコーヒー農園の長男として生まれた日系2世です。

彼がアメリカで愛されていたことは、ハワイのみならずアメリカのあちこちに彼の名前を冠した場所が有るのを見ても頷けます。ハワイ島のコナ国際空港が昨年「エリソン・オニズカ・コナ・国際空港」に名前を改称しました。

 

 
             宇宙飛行士「鬼塚」大佐                 

               

 
遺品の数々、日の丸弁当が有る 

 

移住者の日本人の子供に日本語や日本の習慣などを躾ける為の「日本人学校」も開設されていました。日本の習慣や常識は、海外の国とは違う事が多いのでそう言う事も必要ですね。今、日本でも道徳の教育を復活させようかと言う機運も有りますが、色々悶着を付ける方々もいるようで、自由自由と言いながら日本人らしさを蔑ろにする教育は如何な物かと何時も思いますね。外国と日本は違って当然だと思いますね。

 

   
当時の生活様式              八百屋さん 

             

   
日本語学校の教室  校訓は日本と同じです

             

   
当時の商店など              軍の支給品など 

中に映写室が有って、日本人の移住者関係のビデオが4遍ほど見る事が出来ます。此処に来たら是非このビデオは見て頂きたいと思います。太平洋戦争が始まってからの日本人の処遇に涙が出ますね。1940年代当時、ハワイの日系人は、ハワイの人口の40%を占めていたそうで、その影響は大きいですね。

しかし、彼らは「第100歩兵大隊」と言う部隊を作ってヨーロッパ戦線でドイツ軍と戦い大変な功績を上げました。その後結成された「第442連隊」と共にアメリカ軍に日系部隊有りと、知らしめたことは有名です。因みに第100大隊は、ハワイ語で「ワンプカプカ大隊」と言います。

戦後、彼らはアメリカ軍や、政府から沢山の勲章や表彰を受けたそうです。

 

   
映写室   4本のビデオが有ります

            

   
強制収容所の様子              日系兵士の活躍 

その他にも、ハワイに何か所か有った強制収容所の様子や、アメリカ本土に送られたハワイ日系人の様子などが見られます。本土とは違って、ハワイの収容所は、日系人には大変寛大な扱いをしたらしいです。今までのハワイ開拓の貢献に異議を唱える人はいなかったのでしょう。

何方にせよ、それでも収容所の生活は大変きつかったらしいです。やる事が無いので色々な物を手作りしたりしたそうで、それらの品々が展示されていました。

 

   
収容所での作品の数々 

 
収容所仲間からの寄せ書き 

 

私は残念ながら参加出来なかったのですが、月一回此処の主催で、ハワイ島に有った5か所の収容所のうちの一か所「ホノウリウリ収容所跡」へのツアーが催行されているそうです。2015年に、当時のオバマ大統領が、この収容所跡を「国定史跡」として認定し、保存されているそうです。

因みにオバマ大統領はハワイ州出身の大統領ですね。

5月は、9日に終わってしまったので残念ですが、6月は11日ころに催行されるそうなので、もしその頃ハワイに来られる方は、計画してみては如何でしょうか?滅多に参加できることでは無いので、私も参加したかったのですが、気が付くのが遅かったですね。もう少し早く此処に来ればよかったと悔やまれます。これらの情報は定かでは有りませんので、詳細はセンターの方に確認して見てください。

 

   
日系の移住者から寄贈された瀬戸物や着物類、売店で販売しています 

第59回海外日系人大会」がハワイホノルルの「シェラトン・ワイキキ」で開催されますが、参加申し込みはもう既に締め切ったそうです。因みにURL

 

 

            〈アメリカ陸軍博物館〉

ワイキキの西の外れにある「アメリカ陸軍博物館」へ行って来ました。

歩いてもすぐなので散歩がてらに行けます。無料なので尚良いですね。

 

   
 「陸軍博物館」  戦車など外の展示物

            

   
 日本軍の軽戦車だそうです  日本軍の大砲です

              

   
 廊下の展示場  昔のハワイの武器

        

 ハワイ王朝時代の写真も有る   14インチ大砲の弾
 

特に多かったのは、太平洋戦争などの日本軍関係の写真と武器類ですね。

これも日本人観光客を意識しているのか、それとも真珠湾攻撃の関係なのか分かりませんが、「アメリカ陸軍博物館」という割には多かったです。

 

   
 日本軍の大砲、綺麗に整備されていました     ご存知「トラ・トラ・トラ」です

    

   
 日本軍の写真と兵器

   
 日本軍の兵器、日本刀が沢山有ります。  アメリカ軍の兵器

      

 

この博物館は、兵器類の展示が大変多い展示場です。大砲を始め、銃や拳銃、刀剣など沢山展示されているので、武器お宅にはたまらないかも知れませんね。ですから、陸軍の博物館の割には陰湿な雰囲気は無くて面白いです。

おまけに入場料は無料ですが、寄付をお願いしますと書いて有り、募金箱も2か所用意されてありましたので、宜しく!!との事でした。

   
朝鮮戦争                   ドイツ軍

 

                

   
 ヨーロッパ戦線   「BAR」?

             

 

次に有ったのが、日系軍人で元陸軍参謀総長を務めた、「エリック・ケン・シンセキ」大将です。彼はオバマ大統領の時に閣僚まで務めた方です。カウアイ島で生まれた日系3世です。

彼は、当時のラムズフェルド国防長官と色々あって辞任させられたらしいのですが、その原因は、ラムズフェルド国防長官の人種差別だったとの事です。日系人が陸軍の最高の地位に居るのが面白くなかったらしいです。イラク戦争の時のシンセキ大将の進言を無視した為アメリカは多大な被害を被って、後日、ラムズフェルド国防長官は責任を取らされて罷免されたそうです。

 

   
 日系軍人幹部の「シンセキ大将」  胸に「SHINSEKI」と有ります

      

   
 日本国から「旭日大綬章」を受けています  入場無料ですが、ドネーションを!!